ダン•ギルバート「私たちが幸せを感じる理由」

ダンギルバート「私たちが幸せを感じる理由」

 

『幸せはいつもちょっと先にある-期待と妄想の心理学』の著者であるダン•ギルバートが、期待外れが不幸を呼ぶという考えに対立します。私たちの中にある「心理学的免疫システム」が、たとえ予想通りに事が運ばなくても、心からの幸せを感じさせてくれることがあるのです。

以下、日本語翻訳全文です。ユニークで詳細な実験結果が「私たちの願望や心配は、自らの内で作り出されるためにどちらも大げさなものとなり、その結果何かを選んだ後も常に別の何かを探し求めている」ことを証明してくれています。

21分間の講演時間と比べると200万年という時間は非常に長いものに感じられますね。
しかし進化論という側面から見ると、200万年は0年も同様です。
それでも人間の脳は、200万年の間におよそ3倍もの大きさになりました。
約700グラムの脳を持つ私たちの祖先、ホモハビリスから現在私たちの両耳の間にある脳は、約1400グラムにまでなったのです。

進化の過程において、このような大きな脳を各人がもつ必要性はなんだったのでしょう。

それは、脳が3倍の大きさになったとき、ただ単に容積が3倍になっただけではなく、脳は新たな構造を獲得したのです。
新しいパーツを得たことが、脳がここまで大きくなったことの理由のひとつなのです。

前頭葉、その中でも特に、前頭葉皮質と呼ばれる部分です。
前頭葉皮質がどのような働きをするのかが分かれば、進化論における一瞬の時間で脳の全ての構造が変わった理由も分かるはずですね。

さて、どうやら前頭葉皮質には多くの役目がありそうです。なかでも一番重要な役目は疑似体験をすることです。
パイロットは模擬飛行装置を使って操縦訓練をします。これは、実際に飛行機を操縦するときにミスを犯さないためですね。人間にはこの驚くべき模擬体験装置があって経験を頭の中ですることができるのです。

実生活の中で経験するよりも先に、です。これは私たちのいかなる祖先もまた他のどの動物も同じようにはできない驚異的な技なのです。
向かい合わせにできる親指や直立二足歩行、そして言語と共に人類の生活の中心を森林からショッピングモールに変えた要因のひとつなのです(笑)。

さて、みなさんもこれと同じことをしているのです。そうですね、ベン&ジェリーズアイスクリームには、レバー&オニオン味のアイスクリームなんてありません。それは実際にいくつか作り試食して「うえー」となったからではなく、机から離れなくともその味を想像し、実際に作る前に「うえー」と言えるからなのです。では、実際に私たちがどのように疑似体験をしているのかみてみましょう。

話を進める前にここで簡単なテストをしてみます。
ここに2種類の違った未来があります。これら2つを疑似体験してみて、どちらの方が好ましいか教えてください。
ひとつは宝くじを当てる未来です。これは3億円くらいはありますね。
そしてもうひとつは下半身麻痺になる未来です。
さあ考えてみてください。
きっと考える必要なんてないと思う方もいらっしゃるでしょう。興味深いことに、2つのケースの実際のデータがあるのです。実際彼らはどれくらい幸せなのでしょうか。

予想したとおりでしょう?

けれどもこれは、私が作りあげたウソのデータなのです。こちらが本当のデータです。みなさん講演開始5分にして、もう落第です。実際のところは、脚の機能が失われた1年後と、宝くじを当てた1年後とでは、宝くじの当選者と下半身麻痺の患者は人生において同等の幸福を感じているのです。

最初のテストで間違ったからといってがっかりしないでください。
誰もが全てのテストで毎回同じように間違うのですから。

私の研究室や、国中の経済学者心理学者がしている研究において、極めて驚くべきことがわかってきています。衝撃偏向と呼ばれるもので、疑似体験の働きを悪くする傾向のことです。疑似体験の中では結果の違いが実際以上に大きいと思ってしまうのです。
フィールドワークや実験室での研究において分かってきたのは、選挙に当選しようが落選しようが、生涯のパートナーを得ようが失おうが、仕事で昇進してもしなくても、大学入試に受かっても落ちても、どんなことが起こったって本人は私たちが思うほど衝撃を受けていなければ、感情的にもなっていないそんなにそれを引きずってはいないということです。
実際最近の研究では、これには閉口してしまうのですが、人生における最大のトラウマがその人に及ぼす影響について、もしそれが3ヶ月以上前に起こったとすると多少の例外はあるにしてもその人の幸せにはなんの影響も与えないということがわかったのです。

なぜでしょう。

幸せは作り出すことができるからです。
トーマスブラウンは1642年に著書の中でこう述べました。
「私は世界一幸せな人間だ貧を富に変える力も、逆境を順境に変える力も持っているのだから私はあのアキレウスより不死身なのだどんな強運の持ち主も、私を射止めることはできないだろう」と。
一体彼の頭の構造はどれほど奇なるものだったのでしょう。
なんと、それは私たちと全く同じだったのです。
人類には心理的な免疫システムのようなものがあります。認知プロセス、ほとんどは意識下で行われているシステムなのですが、これは自分が属する世界をより良いものに感じられるように世界の見え方を変えてくれるのです。
トーマスブラウン同様、誰もが持つシステムなのですが、彼とは違って、誰もその存在に気づいていないようです。

幸せは作り出すものなのに、見つけるものだと考えてしまうのです。

人々が実際に幸せを作り出す例はそんなにたくさん必要ないでしょうが、これからいくつかの実験的証拠をお見せします。証拠は身近なところにあるのです。

自分への挑戦として、以前私が外部の講義で目にしたニューヨークタイムズの記事のコピーを使って人々が幸せを作り出す実例を探しました。こちらが幸せを作り出した3人です。

「肉体的にも経済的にも、感情的にも精神的にも、ほぼ全てにおいて向上した」
「何ひとつ後悔はない」
「栄光のある経験をしたと思っている」
「結果的にベストだったと信じている」

これほどまでに幸せを感じられる人とは一体誰なのでしょうか。
最初の一言はジムライトのものです。何人かの方々は覚えていらっしゃるでしょう。彼はかつての下院議長だったのですが、ニュートギングリッチという若手の共和党議員によって裏工作を暴かれ、その不祥事を理由に辞任しました。国中から最強と言われたこの民主党議員は全てを失いました。金も権力も失った彼は、この経験について後々何と語るかと言えばなんでしょうか?

「肉体的にも経済的にも、感情的にも精神的にもほぼ全てにおいて向上した」

これ以上一体何を向上させることができるでしょう。
菜食面?ミネラル面?肉食面?
彼は全てを制覇してしまったのです。

モリースビッカムという名前はきっと耳にしたことがないでしょう。
彼は釈放されたときにこれらの言葉を述べました。
78歳の彼はそのうち37年を犯してもいない罪のためにルイジアナ州の拘置所で過ごしました。DNA鑑定の結果最終的に78歳で無罪が確定したのです。この経験について彼が述べずにはいられなかったことは
「何ひとつ後悔はない栄光のある経験をしたと思っている」だったのです。

栄光ですって!
彼が言ったことは
「拘置所は何も悪い人ばかりだったってわけじゃないよ。ジムもあったし」ではなく
「栄光ある経験」だったのです。
我々が普通宗教的経験を述べるときのためにとっておくような言葉を彼は使ったのです。

ハリーランガーマンのことは知っている方も知らない方もいらっしゃるでしょう。
彼は1949年に、マクドナルドという2人の兄弟が経営するハンバーガー売店の記事を新聞で目にして「これはいいアイデアだ!」と考えました。彼は兄弟を探しあて会いに行くと「3000ドルでチェーン店の営業権をあげるよ」と言われました。ハリーはニューヨークに戻り投資銀行をしている兄に3000ドルのローンを願いでました。彼の兄の忘れられない一言は
「ばかいうな誰もハンバーガーなんて食いやしないよ」でした。
彼はハリーに金を融資しませんでした。
当然のことながら6カ月後レイクロックが同じことを思いついたのです。民衆はハンバーガーを食べるのです。レイクロックはしばらくしてアメリカ一の富豪になりました。

最後に、最もポジティブであったのは、お分かりですね、若かりし頃のピートベストです。彼はビートルズの初代ドラマーでした。ご存じの通り訳の分からない理由で解雇され、ツアー中にビートルズと親交を深めたリンゴが後を継ぎました。1994年にインタビューを受けたとき、ピートベストは、彼は現在もドラマーであり、ミュージシャンであるわけですが、「ビートルズに在籍していた頃より幸せだ」と言ったのです。
どうやら彼らから何か大切なことが学べそうです。

これこそが、幸せの秘訣なのですこちらです、やっと辿り着きましたね。

その1:富や権力、名誉をどんどん手に入れてそれら全てを失いましょう(笑)
その2:人生でできるだけ多くの時間を刑務所で過ごしましょう(笑)
その3:誰か自分以外の人を大金持ちにしましょう(笑)
そして最後に:なにがあってもビートルズには入らないこと(笑)

さて、ジーフランク同様私には次にみなさんが思うことがわかります。
みなさん「あっそ」と思っているでしょう。
彼ら3人のように人が幸せを作り出したとき、我々は顔では笑っていても少しあきれて、
「あっそ」「きっと実はそんな仕事したくなかったんだよ」とか
「あのね、君は彼女とそんなに共通点なんてなかったんだから、彼女に婚約指輪を突き返される前に気がついてよかったじゃないか」と言うんです。
苦笑いをするのは、人工的幸福はいわゆる自然発生的幸福ほど価値がないと考えてしまうからなのです。

これらの幸福とは何でしょう。

自然発生的幸福とは、欲したものが手に入ることです。
そして人工的幸福とは、欲したものが手に入らなかったときに自ら作り出す幸福です。

私たちの属する社会では、人工的幸福は二流の幸福であるという強い信念が横行しているのです。
どうしてそう思ってしまうのでしょうか。
理由はとても簡単です。
欲しいものが手に入っても入らなくても、私たちが同等の幸福を感じるならば、経済のエンジンは回らなくなってしまうでしょう。

我が友マシューリカードには大変申し訳ないのですが、禅僧侶であふれているショッピングモールはそんなに利益が上がらないでしょう。僧侶はそんなにものを欲しがらないのですから。人工的幸福は、その細部にわたるまで自分がまさに望んでいるものを手にするという幸せと同じくらいリアルであり、長続きするものです。

私は科学者なので修辞学的ではなくデータを使って話していこうと思います。

まずはじめに一般的な成人の人工的幸福を証拠づけるための実験をお見せしましょう。
これは私のものではありません。
これは50歳の人の範例で自由選択に関するものです。
実験は簡単です。
何かしら物を、例えば6つくらい持っていって、被験者にそれらを好きな順にランク付けしてもらいます。
範例なのでみなさんにあらかじめ何を使うかお教えしておきます。
今回はモネの絵です。
被験者らはこれらのモネの絵を、一番好きなものから一番気に入らないものへと順に並べます。
ここでひとつの選択肢を与えます
「予備の絵がまだ、たまたまクローゼットに残っているんです」
「今日の実験のお礼にひとつ差し上げますよ。3番と4番の絵が残っているみたいです」と。

少し難しい選択ですね。
なぜならどちらの絵も他と比べてそんなに好きではなかったのですから。
けれども自然と人は3番を選ぶ傾向があるのです。
4番の絵よりは好きだったのですからね。

いくらか時間が経った後、15分後もしくは15日後かもしれません、被験者の前に同じ絵を並べ再度ランク付けをしてもらいます。
「現時点ではどうですか」と言って。

さてどうなるでしょう。

彼らが幸せを作り出す様子をご覧ください。
こちらが何度も再現されている結果です。

幸せが作り出されています。
もう一度ご覧になりますか?

はい、幸せ!

「私が選んだ絵は思ってたよりずっといいわ!」
「選んでない方の絵は大したことない!」(笑)

これが人工的幸福ですさて。みなさんの反応は?
「まあ、そうかもね」。

次に私たちが行った実験です。
このデータがみなさんのその反応が間違いだと説得できればと思います。
この実験は入院中の前向性健忘症の患者らと共に行いました。患者の多くはコルサコフ症候群という多発性の神経障害にかかっています。暴飲の結果新しい記憶を作ることができないのです。要するに幼児期の記憶はあるのですが、我々が部屋に入り自己紹介をして部屋を一旦はなれまた戻ってくると、彼らは我々を認識できないのです。
私たちはモネの絵を病院に持って行き、患者らにそれらの絵を一番好きなものから順に並べてもらいました。そして先ほどの実験と同様に3番か4番かを選んでもらったのです。他のみんなと同じように彼らも「ありがとうございます、先生、新しい壁掛けにします。3番をいただけますか?」と言います。
3番の絵はまた後日宅急便で送りますと言って、全ての荷物を持って私たちは部屋を出ました。
それから30分待って部屋に戻り「どうも戻りました」と声をかけました。

患者らとの会話は
「ああ、先生すみません、私は記憶障害でここにいるんです。以前お会いしていたとしても思い出せないんです。」
「覚えていないのかい?さっきモネの絵を持ってきたんだけど。」
「すみません、全く覚えていないんです。」
「いいんだよ、ただ、これらの絵を好きなものから順に並べてもらえないかな?」

さあ彼らはどうするでしょう。

まず最初に彼らが本当に記憶喪失症かどうか確かめましょう。
患者らに自分の絵はどれかと尋ねました。彼らが先ほど選んだ絵です。彼らはどうやら当てずっぽうに答えているようです。こちらの緑が正常者です。みなさんに同じ質問をしたら、全員自分の絵がどれか分かるでしょう。しかし同じことを記憶喪失の患者に尋ねたピンクでは、彼らには自分の絵を選び出す手掛かりがないのです。
正常者は幸せを作り出すのでしたよね。絵のランク表は最初の順番と2番目の順番はこのように変わります。正常者は、先ほどお見せしたマジックをグラフでお見せしています、「自分が選んだ絵は予想より良かった。選ばず残った方は思っていたほど良くはなかったな」と言います。

なんと記憶喪失患者も全く同じ結果を出したのです。

彼らも自分の絵をより好んだのです。自分の絵だとは知らないままに。
「まあ、そうかもね」は正しい答えではないのです!
これらの患者らが幸せを作り出したとき、彼らは本当に絵に対する快楽、美的反応を変えたのです。
自分の絵だからそうしているのではないのです。
だって彼らにはそれが自分の絵だとは分からないのですから。

さて、このようなグラフをご覧になった時にそれは多くの人間の平均だということはおわかりですね。この心理的免疫システム、つまり幸福を作り出す能力は私たち全てに備わっています。しかしこの能力を人並み以上に使いこなせる人もいます。またこの能力をより効果的に発揮できる状況も存在します。
自由というものは、意思決定をしまたその意思を変える能力のことですね、自然発生的幸福の友です。
なぜなら数々の魅力的な未来から各々が最も楽しめるものを選ばせてくれるのですから。
しかし意思の決定や変更における選択の自由は、人工的幸福にとっては敵であります。

なぜだか説明いたしましょう。

ディルバートはもちろん知っています。こちらはコミックからです。
「ドッグバードのテックサポートです」
「プリンターが白紙ページばかりだしてくるんです」
「タダでもらえる紙になぜ文句を言うんですか」
「タダ?でもこれもともと自分の紙ですよ」
「全く!お前さんの荒い紙質とタダ紙の紙質をよく見てみなさい。愚か者か嘘つきしか、同じだなんて言わないよ」
「ああ!言われてみれば確かに絹のようだ!」
「何してるんだ?」
「変えられないものを受け入れる手助けをしているのさ」

その通り、心理的免疫システムは私たちが袋小路に入り込んだときに最も効果的にはたらきます。
これはデートと結婚の違いと同じでしょう?

ある男性とデートに出掛けると彼が鼻をほじりました。もう彼とはデートに行きません。
ではあなたが結婚した彼が鼻をほじったら?
うーん、彼は優しい人だからその手でケーキは触らないでね、でしょう?(笑)

出来事に対応した幸せを見つけることができるんです。
さて、ここから私がお見せしたいのはこのような働きは一般的には知られていないことと、知らないことが大いに不利になり得るということです。
こちらはハーバードで行った実験です。
フォトグラフィーコースを開設して、白黒写真のコースですが学生らに参加させ、暗室の使い方も教えました。
まずカメラを持った彼らは、キャンパスを歩き回ります好きな教授や寮の自室、ペットの犬などハーバードの思い出がつまった12枚の写真を撮ってもらいます。
それからカメラを回収し印刷紙を準備して、出来のいい2枚の写真を選びます。
次に6時間かけて暗室の使い方を教え、2枚を現像させます。
2枚の見事な8×10の、思い出のつまった光沢写真を前に、
我々は彼らに「どちらかを手放さなければならないのだが」と言います。
学生は「一枚手放すのですか?」
「そうなんだ授業のプロジェクトの証拠としてね、一枚もらわなきゃならないんだどちらか決めておくれ。君に一枚、私に一枚だ。」

さて、ここからがこの実験の2つの条件です。
一つのケースでは、学生にこう言います。
「でもまあもし気が変わったのなら、写真はまだ私が持っているから。これから4日間、実際に本部に送るまでは。」
「いつでも交換できるからほんと君の寮まで届けてあげるよ。メールを送ってくれ。いっそのこと一緒にチェックしよう。もし気が変わったなら、必ず交換するよ。と。
残り半分の学生には全く正反対のことを言います。
「すぐに選びなさい。2分後にはイングランドに発送しちゃうから。君の写真は大西洋を渡っていくからこれが最後の別れだ。」と。
次にそれぞれの条件の学生半数に、手元に残した写真と手放した写真をこれからどれくらい好きになるか予想してもらいます。残りの学生はひとまず寮に帰して、それから3日から6日ほど写真への好感度満足度を量ります。

結果をご覧ください。

まず最初に、こちらが学生達の予想です。
彼らは手放した写真より手元に残した写真を恐らく僅かながら好きになるだろうが、統計的に意義のある差にはならないだろうと思いました。
差はほんの僅かで、交換できるかできないかは問題ではないと。

実際は、大間違い。

なぜならこちらが本当に起こったことなのです。
交換する前もその5日後も、手元の写真しか残っていない人、選択肢のない人、絶対に気を変えることのできない人は、写真に多いに満足したのです。
そして頭を悩ませ考え続けた人は「交換すべきか?」「この写真でよかったのか?」「もしかしたらこっちはよくないかも?」「いい方を手放したかも?」という考えに押しつぶされてしまったのです。
彼らは自分の選んだ写真が好きでなかったし、実際、交換期限が終わってもまだその写真が好きにはなれませんでした。

なぜ?
人工的幸福と相性が悪いからです。

さてこちらが最後の実験です。
先ほどとは違うグループの純真なハーバードの学生を集め
「フォトグラフィーコースをしているんだけれども、2パターンあってどっちかに参加して欲しいんだ。2枚写真を撮ったあと4日間考える時間があるコースと、2枚写真を撮ったらすぐにどちらか決めて決して変更はきかないコースだ。どっちに参加したいか?」

ああ!
66%、3分の2の学生が、選択の変更がきくコースを好んだのです。

そうなんです。
66%の学生が、最終的に写真に大きな不満を覚えるコースを選んだのです。彼らは人工的幸福が生まれる環境を知らないからです。

シェイクスピアはご存知の通り物事を一番上手く表現します。
私の話も、彼はおおげさではありますがこう表現しています。
「物事の善し悪しなんて本当は存在しない。我々の思考がそのように見せるだけだ。」

素敵な詩ではありますが、100%正しいはずはありません。
本当に物事の善し悪しは存在しないのでしょうか。胆嚢の手術とパリ旅行とは本当に同じものなのでしょうか。
これはIQテストの質問のようです。両者は100%同じではないのです。

より誇張された散文で、しかしより真実に近いことを近代資本主義の父、アダムスミスが言っています。
こちらは考え甲斐があります。
「人類の生活における苦悩や無秩序の多くは、永続的状況とそれ以外の状況との差異を過大評価しているところに帰依するようだ。いくつかの状況は疑いなく他より好ましいものであるが、それらのどれも、慎重さや公平さの規律を犯すまでの情熱をもってして追い求める価値はない。また未来の心の平穏さは、自らの愚行の記憶による恥、自らの不公平な行いへの恐怖や後悔によって乱されるべきではない。」

つまり、他より優れているものもあるにはあります、ひとつの未来を選び抜く力は持っておくべきです、けれどもその選択が異なる未来の差異を過大評価することによって、強引で拙速なものになると、リスクが生じるのです。
望みは限られたものであれば、楽しむことができます。
けれども望みは制限なしだと我々は嘘をつき、人を騙しものを盗み、他人を傷つけ、本当に価値のあるものを犠牲にするのです。
同時に恐怖が限られたものであるなら、我々は用心深く慎重で分別をもって行動できます。しかし恐怖が限りなく強大なものであれば我々は向こう見ずであり臆病になります。

私がこれらのデータを使ってみなさんに伝えたかったことは、私たちの願望や心配は、自らの内で作り出されるためにどちらも大げさなものとなり、その結果何かを選んだ後も常に別の何かを探し求めているということです 。
ありがとうございました。