ミハイ・チクセントミハイ: フローについて

ミハイ・チクセントミハイ: フローについて

 

ミハイ・チクセントミハイは問いかけます「人生を生きるに値するものにするものは何でしょう」お金では幸せになれないと気付いた彼は、「フロー」の状態をもたらす活動の中から喜びと永続的な満足を見出している人たちを研究しました。

以下、日本語翻訳全文です。
自分が心底やりたいと思っていることに夢中になり、自我が消失し、自分の心理的エネルギーを一転に集中する体験=フロー体験、あっという間に時間が過ぎていくような感覚をいかに持つかということに具体的に言及しています。自分の目標があって自分の能力に適した状態において、かつ活動結果のフィードバックがある状態で、その目標に向けて心が集中し、時間の流れも忘れて活動に没頭している状態をフロー体験としています。そして、その活動はすべて自分の能動的な選択の結果であることが大事だとしています。

私はヨーロッパで育ち第二次世界大戦のとき7歳から10歳でした。私の知っていた大人で、この戦争による悲劇を耐えることのできた人はわずかでした。戦争で仕事や家などの拠り所を失ってしまって、平穏無事に満ち足りて幸せな生活すら維持できない人が多いことを目の当たりにしていました。そこで何が人生を生きるに価するものとするかということに興味を持つようになりました。

ティーンエイジャーの若者ながら哲学書を読み、芸術と信仰や多くのことに関わってこの問いの答えを探し求めました。そんな中、心理学との偶然の出会いがありました。

私はスイスのスキーリゾートに居ましたが、遊ぶお金はありませんでした。雪も融けてしまったのに映画を見に行くお金も持っていなかったのですが、チューリッヒの街中で講演会をするという新聞記事を見ました。空飛ぶ円盤について話すということでした。私はまぁ映画にも行けないのだから無料なら空飛ぶ円盤の話を聞いてみようかと考えました。その晩講演した男はとても興味深い人でした。
小さな緑の宇宙人の話の代わりに、彼はヨーロッパ人の精神がいかに戦争で傷ついたかを述べました。空飛ぶ円盤を空に見出すことで古代ヒンズー教の曼荼羅にあたるものを空に映し出すことで、それは戦争後の混乱の中から何かの秩序を取り戻そうという試みだと語りました。私はこれをとても面白いと思いました。この講演を聞いてから彼の本を読み始めました。カールユングがその人でしたが、それまでは名前も成果も知らなかったのです。

やがて私はアメリカに渡って心理学を学ぶことになりました。
そうして幸せの根本は何かを理解しようという試みに着手しました。このグラフは多くの人が説明してきたものです。
多くのバリエーションがあります。
この1956年にアメリカで行われた調査では、30%の人が人生が非常に幸せだと答えています。その数字はそこから全く変化しません。個人の収入はインフレを考慮した尺度で見ると、この期間に2倍以上ほぼ3倍にに向上しましたが、それでも幸せについては同じ結果になっています。
貧困ラインよりも数千ドル多い程度のある基準を超えてしまえば、物質的な充足は人の幸福とは関係しないようです。基本的な物質的な財産が不足すると不幸に結びつきますが、逆に物的な財産が増えても幸福は増大しません。

以上のように、実際の自分の経験に即した物事を見出だしたことを踏まえて、私の研究はもっと焦点を絞り、日々の暮らしの中のいつもの経験の中のいったいどこで我々は本当に幸福を感じるのかということを調べています。
40年前にこの研究を始めるにあたり、創造的な人たちに注目しました。
芸術家や科学者などが何をもってその人生を費やすに値すると考えるのか、彼らの多くはそのことから名声も富も期待できなくてもそれでも人生に意味と取り組む価値を感じているのです。

例えば、この人は70年代のアメリカ音楽の著名な作曲家の一人です。
インタビューは40ページにも渡りますが、この短い抜粋には彼がインタビューで言っていた内容がよくまとまっています。
作曲が上手く行っているときに彼がどう感じるか説明してあります。彼はそのことを忘我の状態と表現しています。ギリシャ語の忘我(エクスタシー)は何かの横に立つという意味です。そしてその状態になると日常の決まった作業をしているとは感じられないような精神状態を表すたとえとして使われるようになりました。

忘我とは本質的には異なる世界の現実に足を踏み入れることです。それは興味深いことです。考えてみれば時代の頂点となった人類の偉業について、中国であれギリシャであれヒンズー文明であれ、マヤ文明エジプトこれらの全ての文明について知られていることは、彼らの忘我の世界についてであり、日常生活についてありません。
我々は彼らの建てた寺院について知っています。寺院とは日常とは別の現実を経験するために訪れるところです。円形競技場をご存知でしょう。アリーナや劇場と同様古代文明の名残ともいえるものです。人々は濃密で秩序立てた人生を味わうために訪れます。この作曲家はそんな場所に行く必要はありません。この場所、ここのアリーナもまたギリシャの円形劇場のように忘我の状態のための場所です。

毎日慣れ親しんだ人生とは異なる別の現実に皆さんは参加しておられます。しかしこの作曲家はそこに行く必要はありません。小さな楽譜を書き込むための紙だけが必要なのです。作曲をしていると、これまで存在したことのない音の組み合わせを想像することができるというのです。
そこで、ジェニファーが即興演奏したときのように、新しい現実を作り出す状況に到達することこれが忘我のひとときです。
彼は別の現実に入り込むのです。彼は言います、これは非常に強烈な経験であたかも自分は存在しないかのように感じると。誇張した絵空事のように聞こえるかもしれません。ところが実際、ヒトの神経系は毎秒110ビット以上の情報を処理することはできません。私の話を聞いてそれを理解するには、およそ毎秒60ビットを処理しなければなりません。三人以上の話を聞く事はできず、三人以上の人が話しかけても理解できないのです。

さて、あなたがこの完全に没頭してしまうプロセスの中にあり、同様に何か新しいものを作っているとしたら、体の感覚や家庭での問題を気にする注意力は残っていません。空腹や疲れさえも感じません。彼の意識からは体も自分が誰かということも消えてしまいます。なぜなら、集中して取り組むべき何かをうまくやり遂げながらも同時に自分の存在を感じるほどの注意力は残っていないのです。だれでもそうなります。そこでは人の存在はしばらく忘れられています。彼は自分の手が勝手に動いているようだと言います。
一方、私は作曲ができないので、自分の手を2週間見続けたとしても畏怖も驚きも感じることはないでしょう。そのことは何を意味するのでしょうか。
インタビューのほかの部分にも記された自動的で自発的な過程は、よく訓練されて技術を身につけた人にだけ起きるのです。
創造性の研究の中でこんなことが明らかになっています。10年間特定分野の技術的知識に深く関わることがなければ、何か創造的になるなどという事はありません。数学でも音楽でも、先行するものよりもどこかに優位性のある物を作り出せるようになるには、それだけの時間はかかります。

さて、その状態が生じると、音楽が自然に湧き出てくると彼は言います。私がインタビューを始めたときにお願いした人たちは全て、インタビューは30年ほど前のものですが、実に多くの人がこんな状態を自発的な流れだと説明します。

そこで私はこの種の経験を、フロー体験と呼ぶことにしました。これは様々な領域で生じます。
たとえば詩人はこんな風に表現します。この調査は私の生徒が行ったもので、米国の主要な作家や詩人の中から何人かにインタビューをしました。同じようにこの忘我の状態に入ると、無理なく自然な感覚に到達するというのです。詩人はドアを開けると空中に浮かび上がっていくような感じと説明します。これはアルバートアインシュタインが相対性の力がどう働くかを理解しようと苦労していたときに、どうやって着想を得たかという説明とよく似ています。他の活動においても生じるものなのです。
また、別の生徒オーストラリア出身のスーザンジャクソンが世界の有力なスポーツ選手を研究しました。オリンピックのスケート選手の描写です。選手の内面の状態について同じことを描写しています。

あなたは、音楽と一体になるようなことが自然に起きるとは思われないかもしれません。またいちばん最近に書いた本「グッドビジネス」の中で、私は何人かのCEOたちにインタビューをしました。これらの人々は同業者たちから非常に優秀で倫理に優れ社会責任を担っているとして推薦された人たちです。この方たちにとって成功とは、自分の仕事の中で他の人を助けながら同時に自分も幸せになることと定義されているのがわかりました。そしてこれらの成功して責任あるCEOの人たちが言うように、その中から一部分だけに成功するということはないのです。
有意義で成功する仕事を望んでいるのであれば、アニタロディックもまたインタビューを受けたCEOのひとりです。化粧品の中でも自然派化粧品の雄であるボディーショップの創始者です。彼女の情熱は仕事中にベストを尽くしてフローの状態に至っていることから得られるものです。
ソニーの創始者である井深大には味わい深い一言があります。彼はそのときソニーを始めたばかりでお金もなく製品がありませんでした。製品すらなかったのです。何もない状態でしたが。アイデアがありました。彼のアイデアというのは、エンジニアが技術革新の喜びを感じられて社会に対する使命を意識して心ゆくまで仕事に打ち込める仕事場を作り上げるというものでした。「フロー」が職場でどう実現されるのか、これ以上良い例を思いつきません。

我々の研究ではこれまでにすでに世界中の研究者たちと8000回以上の、ドミニカの僧侶や盲目の修道女ヒマラヤの登山家ナバホの羊飼いにも、インタビューを行いました。彼らはみな自分の仕事を楽しんでいます。

そして文化によらず教育にもよらず、人がフローに入るときの条件として7つの条件があると考えています。このポイントが十分強まると忘我の感覚明晰な感覚に到達するのです。
それは時間の経過と共に常に自分が何をしたいのか分かっていて、ただちにフィードバックが得られること、何をする必要があるか分かっていてそれが難しくても可能なこと、それによって時間の感覚が消失すること、自分自身のことを忘れてしまうこと、自分はもっと大きな何かの一部であると感じること、これらの条件が満たされるなら、あなたがしていることはそれ自体で価値のあることになります。

我々の研究では、この簡単な図で人々の毎日の生活を記述できます。そして実際にとても正確にこれを測れるのです。参加者に1日十回鳴るポケットベルを配布してそれが鳴るたびに、何をしているか、どんな気分かどこにいるか、何を考えているかを記録してもらいます。2つのことを計測します。それはその瞬間に経験していることの挑戦の度合いと、その瞬間に適用している技術がどの程度のものかということです。それぞれの人について平均をとってこの図の中心点にします。その人の平均的なチャレンジとスキルのレベルで他の人のものとは違っているはずです。
ともかくこうして選ばれた平均値を図の中心にします。中心点のレベルがわかっていれば、かなり正確にどんなときにフロー状態に入るか予想できるようになります。
それは、チャレンジが平均よりも困難でスキルも平均以上のものが求められているときです。
あなたは他の人とは非常に異なるやり方で仕事をしているかもしれませんが、このフローの入り口は誰にもあり、自分の本当に望むことを行っているときにはそこに存在しています。ピアノを弾くことや最高の友達との時間や仕事があなたにフローをもたらしてくれるものなのなら、仕事の時間も他の領域は次第に好ましくなくなります。覚醒の領域では困難に挑んでいるので、これはよいものです。あなたの技術は求められるものほど高くないのですが、技術をもう少し高めることでかなり容易にフローに入ることができます。
覚醒の領域からはほとんどの人が学べるでしょう。ここは彼らが快適な範囲外に押し出されており、フローの領域に戻ろうとして人はもっと高度な技術を身につけます。
制御の領域も良いところです。ここでも人は快適です。ただあまり刺激はありません。チャレンジというにはあまりに容易なのです。
制御からフローに入りたければ、チャレンジの度合いを高めなければなりません。これらの2つは望ましくそしてお互いに補い合う領域でフローへとたやすく移動できます。
その他のチャレンジとスキルの組み合わせに移ると、次第に望ましいものでなくなります。弛緩も悪くない、気分はよいです。ただ、退屈は避けたいものです。
無気力は非常に否定的です。何かをしようという気がなくなります。スキルを使わずチャレンジもしません。不幸なことに多くの人の経験はこの無気力の領域にあります。テレビの視聴がこの経験に寄与するところは大で、その次はトイレで座っているとき、時にはテレビを見ているときでも、その7-8%の時間はフローに入っているかもしれません。それは本当に見たい番組のときです。そこから得るものがあるときです。答えるべき質問は、もう時間ですね、毎日の生活の中でどうすればより多くの時間をフローの状態にできるか、これを理解しようと私たちも努力しているのです。

皆さんの中にはアドバイスがなくても自分でやり方を分かっている方もいるでしょう。しかし不幸なことに多くの人は分かっていません。それに対して我々の研究がひとつのやり方になるのです。
ありがとうございました。

 



 
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